「知らぬが仏」
日本に古くからある言葉だ。
事実を知らないが故に心を乱されず仏のようにいられる。知れば腹も立つが、知らないから仏のように平静でいられる。という意味である。それと同時に何も知らない人を馬鹿にし、からかう言葉でもある。
日本国憲法に保障されている基本的人権の中に「知る自由」がある。
国政や外交のみに関わらず、社会問題や事件についての報道、追及について、人々は「知る権利」を主張する。
現代の人々はその「知る自由」をあって当たり前のものであり、知らないことは不自由であり、制限であり、弱者になるのだと考えている。インターネットで誰もが情報を得られる時代だ(真偽を問わないが)。人々は各自学び、調べ、考え、決定し、行動することができる。それはある意味、資本主義の根底を成していると言えるかもしれない。
しかし人々の好奇心、野次馬精神は留まることを知らない。社会的なイシューになるような事件があれば、ネット上では特定班が先を争うように個人情報を特定し晒す。スキャンダルに見舞われた有名人に追い打ちとなるような情報を拡散する。そして一般人もそれを煽るように、悪人と比較して彼らを称賛し正当化する。
まあなんと他人への関心が多いことか。しかしそんな単純な問題ではない。
多くの情報を得ることができ、全てのことを知って当たり前だと考えだした私たちは、自身が「知らない」ことに言い表せない不安や不快感を覚えるようになった。社会的な面だけではない。個人、家族、恋人そして周囲の人々に関してもだ。常に全てを知ろうとして、個人の領域を侵犯する。
知らない方が良かった…。人間関係の中でほとんどの人がそう感じたことがあるはずだ。偶然知ってしまったというのは仕方がないことだが、多くの場合、私たち自身が好奇心や不安に打ち勝てずに、自ら知ろうとした結果である。
一般的に「幸福」の概念には、「ある状態を幸福だと思っている」だけでなく、幸福だと思っている「状態が真実である」ことが含まれているそうだ。言い換えれば、自分の知っていること、感じていること、信じていることが全て真実である場合に、「幸福」という条件に該当するということになる。
しかし、本当にそうだろうか?その状態が真実であることをどのように確認するのだろうか?そしてその状態が今後も変わらずずっと続くと、誰が保証できるのだろうか?
私たち人間が理解し、把握し、掌握できる事柄が一体どれほどあるというのだろう。
確かに人間は知能が高く、科学技術を発展させ、多くの知識と知恵を得てきた。それでも人間は何も知らない。
世界で科学者が一番自殺率が高いということをご存じだろうか?特に宇宙分野など疑問が果てしない分野では特にそうだ。科学を学べば学ぶほど、知れば知るほど、私たち人間の基準で賢くなればなるほど、自身のそして人間の無知・無力さを痛感するからだ。
わたしたちが考える「知る」「知っている」、そしてそれが「真実かそうでないか」という基準は、非常に脆く、信頼できないものだ。
プラセボ効果のように、事実ではないとしても、何も知らずに盲信したほうが幸せに生きられることだってあるのだ。そしてそれは無知で馬鹿な人間である証拠ではない。
知ることはいつでも幸せではないのだ。
知ることはいつでも自由ではないのだ。
知ることはいつでも不安から解放するわけではないのだ。
時として、知らないこと、知ろうとしないことは「幸福」である。
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